■商品概要
西武池袋線清瀬駅(清瀬市)の南口から商店街を抜けると、病院が林立する地域にたどり着く。人呼んで「病院街」。ぐるりと囲むように雑木林が広がり、アカマツやコナラ、イチョウなどの大木がそびえ立つ。
「昔はね、結核の療養所がたくさんあって、東洋一のサナトリウムとも呼ばれる『清瀬結核村』だったんだ」。そう教えてくれたのは、地元の吉岡袈裟喜(けさよし)さん(78)だ。
1931(昭和6)年に東京府立清瀬病院(現在の国立病院機構東京病院)ができて以来、周辺に次々と療養所や病院が建てられた。治療薬がなく、結核が「不治の病」と言われた時代。患者はきれいな空気の中で静養し、栄養を取って体力の回復に努めた。最も多い時期には15の療養所に5000人が入所していた。闘病生活を基にした俳人石田波郷(1913~69年)の句集「借命(しゃくみょう)」など、ここで生まれた文学作品もある。
化学療法の進歩で患者が減少した後、療養所は一般の病院や結核研究所、介護施設などに姿を変えた。ただ、雑木林の多くはそのまま残され、今年もまた、晩秋の色を帯び始めた。(昆野夏子)
紙面より一部抜粋(2023年11月5日発行 東京新聞朝刊)